映画制作費は、一本平均で5,480万ドル(約65億円)とうなぎ登り。その上、プリント代に宣伝広告費として2,731万ドル(約32億円)がかかる。コストの高騰と映画がコケたときのリスクを考えると、メジャー・スタジオといえどもおいそれとは制作費全額を負担しなくなってきている。ヒットしそうなイベント映画を年に数本制作し、その他の制作は人任せにして、配給に特化する傾向が強まりつつあるのが現状だ。
配給会社に映画を供給する制作会社は、どうやって資金調達をするのか。十分な自己資金があれば制作はすぐできる。投資家がついている場合は、その金を使えばよい。そうでない場合は、どこからか資金を工面しなければならない。そのひとつに金融機関から資金を借り入れる方法がある。といっても、金融機関が、完成予定映画のネガを担保に融資する訳ではない。担保となるのは、映画の配給契約である。未完成の映画を買い付ける配給会社が提供する配給契約を担保にして、金融機関が映画資金の一部を融資する。この独自の映画資金調達方法は、1970年代後半アメリカで始まった。それはホーム・ビデオの普及と時を同じくする。 ホーム・ビデオが市場に紹介されたのは70年代後半。80年代にかけて、映画ビデオは飛ぶように売れた。どんな映画でも売れた。劇場にかからない映画でもビデオで売れた。そのおかげで映画を作る人たちが増え、多くの映画が作られ、映画市場は活性化した。ホーム・ビデオに加えて、テレビやケーブル、海外での配給網が広がり、映画は儲かるビジネスになっていった。儲かるビジネスに融資しない手はない。この頃から、映画に融資する金融機関が現れた。その仕組みはこうだ。通常、配給会社は映画が完成された時、ネガの提供と同時に保証額(ミニマム・ギャランティー)を制作会社に支払う。制作会社は、映画が完成するまで保証額を受け取ることができない。でも、配給契約を担保に資金を借り入れることができれば、制作会社はすぐに制作を開始できる。金融機関にとっても、映画完成時に、配給会社から直接、融資額を返済してもらえる。北米やメジャーな海外での配給会社で、きちんとしたクレジット歴のある信頼できるパートナーであれば、返済も確実というもの。 |
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銀行が儲かるビジネスを黙って見ているわけがなかった。いままで配給契約を担保に融資したこともなかった銀行が、1992年頃から、ぞくぞくと参入し始めた。ユニオン・バンク、インペリアル・バンク、チェイス・マンハッタン・バンク、パリバといった大手の銀行などだ。「銀行には、映画ビジネスに精通した人材がいないにもかからわらず、制作会社に対する融資額をどんどん増やしていった。そのため、1995年頃には、多くのアメリカの銀行が配給契約を担保にした融資ビジネスに参入していった」と、ホロウイッツさんは言う。 銀行が資金を融資してくれるおかげで、制作会社は資金調達が簡単になった。多くの銀行が融資に参入したため、銀行間の競争はエスカレートしていった。そして、銀行は配給権という担保のない“ギャップ・ファイナンス”にも融資を始めるようになった。 “ギャップ”とは以下のような場合をいう。 |
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制作費が250万ドル。配給契約を担保に150万ドルの借り入れができる。100万ドル不足だ。 “ギャップ・ファイナンス”とは配給が決まっていない地域について、その配給権が将来売れたときの値段をあてにして、融資をすることをいう。配給権という担保がないリスクの高い融資だ。 1995年以降、銀行の映画融資熱はとどまるところ知らずで、ギャップが制作費の50%以上ある場合でも、どんどん無担保で融資していた。当時は、国際市場が拡大していたので、配給権が売れ残るなんて予想さえしてなかったからだ。制作会社は簡単に融資が受けられるため、安易に映画を作ってしまう。本来だったら作られるべきでない映画がたくさん作られた。供給過多だ。その結果は悲惨だった。配給されない映画で市場が溢れた。配給されなければ収益を生まない。収益がなければ融資を返済できない。その上、不況がアジア市場を襲った。アジア地域の配給権の値崩れと配給会社の支払い不能となった。銀行は回収できない不良債権をかかえることになり、映画市場を大きく揺さぶった。過去の失敗にこりた銀行は、映画資金を融資する際、ギャップは最小限に抑え、多くても20%以内と、注意深くなっている。 また配給権を前売りして、それを担保に銀行から資金を借り入れる調達方法は独立系制作会社を活気づけた。そのメリットは、スタジオからの資金援助なしに、銀行からの借り入れで映画を作ることができるので、制作者はスタジオからの干渉なく、好きなように映画を作ることができる。完成した映画は制作者の権利となって、将来にわたり収益を生みつづける。 |
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