TEXT BY ミドリ・モール(弁護士・ライター)

 アメリカのテレビ市場

 テレビは、映画だけでなく、報道、ドキュメンタリー、ドラマ、競技、スポーツ、公共放送、商品の宣伝と販売を兼ねるインフォマーシャルなど、多くの情報を視聴者に提供する公益性の高いメディアだ。したがって、アメリカでは政府からの規制も多い。
 アメリカのテレビには無料テレビと有料テレビの二種類がある。無料テレビには三大ネットワーク(キー局)と呼ばれるABC、CBS、NBCそしてフォックス、そして、ローカル局らが視聴者に無料で番組を提供する。無料テレビは、コマーシャル時間を買うスポンサーの広告料で成り立つ。

 これに対して、ケーブル・テレビや衛星放送の有料テレビは、視聴者から徴収する使用料と、コマーシャルがある場合にはその広告料でまかなわれる。アメリカのテレビ市場の特徴は、日本に比べて有料であるケーブル・テレビの発展がめざましい点だ。アメリカでは1億以上の世帯がテレビをもつが、そのうち67%がケーブル・テレビに加入しているといわれ、ケーブル・テレビの普及を物語っている。その背景にはアメリカ独特の事情があるといえよう。

 アメリカは広大だ。山あり谷ありの地形で、どこでもテレビ番組が見られるわけではない。ケーブル・テレビは、テレビ電波が届きにくい場所にも番組を提供しようという目的で、1940年代後半に始まった。

 当初のケーブル・テレビは、テレビ局の信号を難視聴地域に再送信するだけの零細経営だった。しかし、ケーブル・テレビに加入すると地上波アンテナを設置せずにケーブルで地上波の番組を見ることができるという便利さもあって、ケーブル・テレビに加入する人が増え始めた。
 ケーブル・テレビに視聴者が流れてしまうと、ローカル局で流すコマーシャルを見てくれる視聴者は減っていく。スポンサーあってのローカル局なので広告料が減りかねない。かねてから、ケーブル・テレビが拡大していくのを快く思っていないローカル局と、その親元であるネットワークは、電波を管理する連邦通信委員会(FCC)に圧力をかけ、ケーブル事業を規制させることに成功した。

 しかし1970年代になると、自由化の波に抗することできなくなり、政府はケーブル事業の規制を緩和した。衛星技術の発展のおかげでケーブル・テレビは多くの番組を供給することが可能となり、急速に加入世帯を増やしていった。

 1972年に始まったホーム・ボックス・オフィス(HBO)というケーブル・テレビは、はじめて通信衛星を利用して、ケーブル専用のオリジナル映画とスポーツ番組を配給して、成功をおさめた。70年代後半には有料ケーブル・テレビが更に増え、80年代にはケーブルの基本サービス料金が自由化され、ケーブル事業は大きく発展した。

 規制緩和されたケーブル・テレビは人気の高いテレビ番組のみを放送し、視聴率の悪い番組を外していった。ケーブル・テレビでしか見られないオリジナル番組も人気がある。人気番組だけを見せるケーブル局と視聴率を競争するのはローカル局にとって大変なことだ。ローカル局はFCCに対し、再びケーブル局の規制を求めてロビー活動を始めた。
 ローカル局のロビー活動が功を奏し、1992年法改正により、ローカル局はケーブル・テレビに対し、すべてのローカル局の番組を放送させるか、もしくは再送信のライセンス料を払わせるかを選択することができるようになった。

 90年代には衛星を使ったテレビ放送が始まり、ケーブル・テレビにとってのライバルとなりつつある。1990年にはプライムスター(1999年にディレクTVに吸収合併される)が、1994年にはディレクTVが衛星放送をアメリカで開始した。ケーブル・テレビは地上波でカバーされない地域にテレビ番組を提供する目的で始まったが、衛星放送はケーブルがカバーできない地域に番組を供給する目的で始められた。衛星放送はケーブル・テレビ同様、多チャンネルの特性をもつ。その上、ケーブルにないデジタル送信が可能だ。

 近年ではケーブルのデジタル化が徐々に始まったが、しかし完全デジタル化までには時間がかかりそうだ。
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