TEXT BY ミドリ・モール(弁護士・ライター)

 マネージャーを訴えたコメディアン 「シャンドリング対グレイ裁判」(前編)

 ギャリー・シャンドリングといえば、アメリカではちょっとは名の知れたアクの強いコメディアンだ。『ラリー・サンダース・ショウ』というトークショウ番組のパーソナリティを務めて一躍有名になった。最近では映画にも出ている。
 シャンドリングには、ブラッド・グレイという、18年間彼の成功を支えてきたマネージャーがいた。彼は、単なるマネージャーではなく、シャンドリングが主演するテレビ番組のプロデューサーも兼ねていた。したがって、グレイはマネージャーの手数料として、シャンドリングの収入からパーセンテージを受け取り、その上プロデューサーとして、番組のライセンス料という別の収入をも得ていた。つまり一つの番組を作ることによって、彼は2箇所から別々の名目で報酬をもらっていたわけだ。

 マネージャーの仕事はもちろんタレントの利益を守ること。一方でプロデューサーの仕事は、制作資金を集めて予算内で番組を制作すること。タレントのギャラをなるべく低く抑えたいと思っても不思議はない。いうなれば、プロデューサーとマネージャーでは、利益が相反する敵対すべき関係だ。いつの頃からかシャンドリングは、グレイが番組プロデューサー業を優先させ、マネージャーとしての職務をおろそかにしているのではないかと疑い始めた。
 一方グレイは、シャンドリングの不信感など気にもかけず、お抱えのタレントを使いながらテレビ番組をヒットさせ、ハリウッド映画制作をも手がけるようになった。そんなグレイの成功に対し、不信感か嫉妬心からか、シャンドリングは突如として不審な行動をとり始め、しまいには主演番組をドタキャンしてしまう。グレイはそんなシャンドリングに見切りをつけ、彼とのマネージメント契約を破棄。1997年11月のことであった。

 マネージャーを失ったシャンドリングは、1998年3月4日グレイとそのマネージメント兼制作会社を、契約違反を理由にロサンゼルス上級裁判所に訴えた。こうしてタレント対元マネージャーの訴訟は始まった。

 シャンドリングがマネージャーとしてグレイを雇ったのは1980年のこと。グレイには、シャンドリングの他にはもう一人タレントを抱えていただけだったので、ほとんどシャンドリング専属といってよかった。
 その頃のグレイは、シャンドリングのために懸命働き、彼の才能を伸ばせるような仕事を探してきては、彼の経済的な成功とタレントとしてのキャリアに貢献してきた。シャンドリングもまたグレイを信頼し、彼の斡旋する仕事をこなしていたのだ。二人はタレントとマネージャーというよりも、もっと親密な友人同士のようだった。だが1985年、グレイが別のマネージメント会社に転職した際、二人にとって転機が訪れた。

 グレイの新しい職場であるブリルスタインは、タレントのマネージメント業のみならず、テレビ番組の制作も行う多角経営企業であった。ブリルスタインは資金調達と制作経験豊かなプロデューサー。グレイは当時まだテレビ番組を作ったことのない素人だったが、彼のもとで働くことになり、野心が芽生える。自分がマネージャーを務めるシャンドリングを使って、番組制作という新しい分野に手を広げようと、グレイは早速企画を立てる。シャンドリングが司会を務めるトークショウ番組だ。番組名は『ギャリー・シャンドリング・ショウ』。

 この番組のおかげで、主演、脚本そして共同プロデューサーを兼ねたシャンドリングは一躍有名になる。翌年には、『ラリー・サンダース・ショウ』というトークショウを再び大ヒットさせる。まさにすべてが順調だった。(次号に続く)
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