TEXT BY ミドリ・モール(弁護士・ライター)

 ソニーに買収されるMGM(1)

 トレードマーク「吼えるライオン」で知られるMGMはハリウッド・スタジオの中でも老舗。近年では『007』シリーズの続編を作ること以外特にヒット作も話題作もなし。その風格も度重なる株主と経営陣の変遷劇で、すっかり弱り切ってしまったライオンのようだ。そのMGMが日本企業であるソニーに買収されるという発表があった。買収金額は、総額約50億ドル(約5,500億円)でソニーと2つの米投資会社は、MGMの約20億ドルに上る負債を引き継いだ上、MGMの大株主、カーク・カーコリアン氏から1株当たり12ドルで株式を買い取る。 
 MGMに興味をもっていたのはソニーだけではなかった。アメリカの娯楽・メディア大手タイム・ワーナーも激しい買収合戦を繰り広げていた。最終ラウンドで、ソニーと米投資会社が共同で提示した買収金額が最終的に上回り、タイム・ワーナーに競り勝った。ソニーといえば、傘下にソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(旧コロンビア映画)を抱える。約4,000本といわれる映画ソフトを所有するMGMを買収することで、DVDなどソフト販売事業に加え、次世代デジタル家電など製品販売競争で優位に立つことを狙っているそうだ。

 MGMの歴史は75年を超える。古き良き時代には『オズの魔法使』('39)、『風と共に去りぬ』('39)、『雨に唄えば』('52)、『ベン・ハー』('59)、『お熱いのがお好き』('59)、『ウエスト・サイド物語』('61)『ドクトル・ジバゴ』('65)などの数々の名作を生み出した。ハリウッドの映画スタジオが衰退していったのはちょうど第二次大戦後。テレビが普及して、観客が映画館に足を運ばなくなった頃からだ。追い討ちを与えたのは、“パラマウント判決”(1948年)とよばれるアメリカ独占禁止法を適用した判決だ。パラマウント判決により、アメリカでは製作配給と劇場との分離が命じられた。そして映画を作って配給すれば、出口である劇場を独占できた時代に終止符が打たれた。
 パラマウント判決とテレビという新しいメディアの登場のおかげで、ハリウッドのスタジオは大打撃を受けた。MGMも例外ではなかった。負債金額は1969年当時、8,500万ドルとなっていた。銀行への返済もできない状態で、4,500万ドルの赤字を出すところまで追い込まれていた。

 そこに登場したのがカーク・カーコリアン氏。1969年、1986年そして1996年と、MGMを3回にわたり買収したカーコリアン氏。ダイムラー・クライスラーの主要株主でもある。彼はいったいどんな人物なのだろうか。
 カーコリアン氏の両親は、アルメニア(現在のトルコ)からの移民で、カリフォルニアの小さな町で農業を営んでいた。ハイスクールをドロップアウトしたカーコリアン氏は、中古車のエンジンを洗う仕事につく。1時間40セントの仕事だった。MGMのスタジオに出向いて洗車をしたこともあった。まさか将来そのMGMのオーナーになるとは夢にも思わなかったであろう。当時のアメリカは不況の真っ直中。カーコリアン氏が考えついた仕事はパイロットだった。第二次世界大戦が勃発したばかりで、パイロットが必要だった。空軍に入り込んだカーコリアン氏はパイロットとして、インドやアフリカにも飛んだ。一月1,000ドルのサラリーだったと言われるから結構高級取りだ。大戦後、そんな彼に大きなチャンスが訪れる。カーコリアン氏は貯めた金で戦争に使用された中古飛行機を買い取り、新しいビジネスを始めた。当時直行便がなかったラスベガス行きのチャーターを始めた。カジノ好きのアメリカ人たちがこぞってこれを利用して、またたく間に大金を手にした。その飛行機ビジネスを売却した後、ラスベガスのカジノやホテルをのきなみ買収し始める。会社を買収しては、また売却するというビジネスを駆使して、巨額の富を築き上げたカーコリアン氏。次のターゲットはMGMだった。

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