TEXT BY はせがわいずみ(FEATURE PRESS)
ハリウッド歴史探訪11 ハート・オブ・スクリーンランド、カルバー市を巡って
ハリウッドから南西約13キロに位置するカルバー市は、別名「Heart of Screenland(映画の土地の心臓部)」と呼ばれている。この別名の由縁は、この地の開発を行ったハリー・カルバーが、映画創世期の映画人トーマス・インス(監督・プロデューサー・俳優)にスタジオを誘致した事から来る。
現在、カルバー・スタジオという名称になっている同スタジオが、T・インスのスタジオとして作られたのが1915年、その後オーナーはRKO、そしてMGM傘下となり、現在はソニー・ピクチャーズのスタジオの一つとなっている。
現在はカルバー・スタジオとなっているスタジオ正面にそびえる元セルズニック・インターナショナルの建物
インスのスタジオだった1920年代前半までは、早川雪洲の『タイフーン』('20)や、無声映画のスター、ウォレス・リードの半生にヒントを得た『Human Wreckage』('24)などが作られた。インスが1924年秋に亡くなると、その時期パラマウント映画と仲違いをしていたスペクタクル映画の監督として有名なセシル・B・デミルがこのスタジオにやって来て、『キング・オブ・キングス』('27)などを撮った。その後、同スタジオはRKO所有となり、『栄光のハリウッド』('32)『キング・コング』('33)、『トップハット』('35)などがここで作られた。
市の集会所の前のフィルムをモチーフにした噴水。後ろの建物もフィルムの装飾が施されている
1930年代後半には、MGMの副社長になったプロデューサー、デビッド・O・セルズニックがRKOからこのスタジオを借り受け、次々と名作を生み出した。あの『風と共に去りぬ』('39)もそうだ。良く知られている事だが、ジョージア州が舞台の同映画は、一切アトランタでのロケは行っていない。カルバー・スタジオ内のセットでほとんどが撮影され、かの有名な"タラの丘"は、スタジオの後ろにそびえる丘で撮影されたという。また、有名なアトランタの火事のシーンでは、『キング・コング』で使われたジャングルのセットの一部を燃やして撮影に使ったそうだ。
街路樹の根本の装飾には映画用カメラと「Heart of Screenland」の文字がデザインされている
その他『砂漠の花園』('36)『スター誕生』('37)『レベッカ』('40)『市民ケーン』
('41)、そして今年公開20周年記念の再上映となる『E.T.』('82)もこのスタジオで撮影された。
カルバー・スタジオの向かいにあるのが、1924年に建てられたカルバー・ホテル。6階建てのこのホテルは、当時この一帯で一番高いビルとしてだけでなく、セレブたちの社交の場として、また、ロケ地として有名だった。クラーク・ゲイブル、ジョーン・クロフォード、グレタ・ガルボ、ロナルド・レーガンなどがこのホテルを常宿にしていたほか、ジョン・ウエインはかつてオーナーにもなった。現在は普通のホテルとして、ビジネスや観光で訪れる人々の憩いの場になっている。
昔の雰囲気そのままのカルバー・ホテル
カルバー・ホテルから西に数ブロック行くと、現在のソニー・ピクチャーズのビルとメインのスタジオがある。このスタジオもさまざまな歴史を持っているが、それは、今度スタジオ・ツアーのレポートの際にご紹介しよう。
文&写真=シネマ・ナビゲーターはせがわいずみ(フィーチャープレス)
Text & Photo by Izumi Hasegawa/Cinema Navigator
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