TEXT BY フィーチャープレス 岩下慶一

 ハリウッド物語(その1)チャイニーズシアター

 ロサンゼルスに旅行に来る人は、必ずと言っていいほど訪れるチャイニーズシアター。古くは無声映画時代のスターから、最近ではニコラス・ケイジまで、200人ものスターの足型があり、訪れる観光客は年間400万人を下らないという。
 今から76年前、1927年に実業家のシド・グロウマンがオープンした時には単なる映画館に過ぎなかったチャイニーズシアターが、世界で最も有名な映画館になった影にはある女優の大失敗が発端になっている。

 時はハリウッドの黎明期、無声映画時代のスターだったノーマ・タルマッジという女優が、完成後間もないチャイニーズシアターを訪れ、間違えて工事中のコンクリートの中に足を踏み入れてしまったのだ。工事関係者はアタマに来たらしいが、オーナーのグロウマン氏は素晴らしいアイデアを思いつく。他にもスターを呼んで、足型を残してもらったら客にウケるんじゃないだろうか?
ハリウッドの中心地にそびえるチャイニーズシアター
 この考えが大当たり。憧れの大スターの手型・足型が見られるということで、どっと観光客が押し寄せ、あっという間に西海岸指折りの観光名所に。チャイニーズシアターの生みの親とも言えるこのノーマ・タルマッジだが、かなりの映画通でも彼女を知っている人は殆どいないだろう。

 1985年、ニュージャージーの貧しい家庭に生まれたノーマ・タルマッジ。アル中の父親は彼女が幼い頃家族を捨てて出奔してしまい、ノーマは2人の姉とともに家計を助るために働き始める。14歳になったある日、不遇な少女の人生を一転して、華やかなサクセスストーリーにでんぐり返す出来事が起こる。
 とあるモデルエージェンシーが美しく成長したノーマをスカウトしたのだ。モデルとして活動し始めたノーマはほどなくニューヨークの映画関係者の目に止まり、1909年、『THE HOUSEHOLD PEST』に端役で出演したのを皮切りに、順調に女優としてのキャリアを積み上げていく。そして1915年、本当のスターを目指すにはハリウッドでなけりゃ、と母親と一緒に西海岸ハリウッドへ(この辺は今も昔も同じ)。
ノーマの足型は入り口近くにある
 ところが、意気込みもむなしく鳴かず飛ばず。大した役も貰えずに、1年後にはNYに舞い戻る羽目になる。しかし彼女は諦めなかった。最初の夫とともに制作・主演した映画『PANTHEA』 が大ヒット、とうとう女優としてブレイクする。念願のハリウッドに再びやってきた彼女は、『WONDERFUL THING』('21)、『THE ETERNAL FLAME』('22)、『THE SONG OF LOVE』('23)などのヒット作に次々主演。黄金期を築く。
 しかし、やっと手に入れた栄光も長くは続かなかった。1930年代、映画界はトーキー時代を迎えていた。その声に容姿ほどの魅力がなかった彼女の出番は徐々に減っていく。それでもノーマはあきらめず、ラジオに出演したりしてカムバックの機会をうかがうが、チャンスの女神はここに来て彼女を冷たくあしらう。『Du Barry, Woman of Passion』('30) を最後に映画界から足を洗った彼女は1946年に3度目の結婚をし、1957年、62歳で他界するまで映画界に戻る事はなかった。
毎年400万人!が訪れる
 アクトレスとして大成したとは言い難いノーマだが、アクシデントとはいえ栄えあるチャイニーズシアターに最初の足型を残した女優として、映画史上に文字通り偉大な足跡を残している。
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