TEXT BY 尾崎佳加

 スターの活躍を称えて…
 スターの名前を受け継いだストリートたち

 ハリウッド映画の創世記を飾ったスターたち。彼らの名は今も地名となってハリウッドを飾り続けている。今回は往年のスターたちの名を残すストリートを探ってみよう。
 まず、サイレント映画の巨匠、チャーリー・チャップリンにちなんで命名された、その名もチャップリン アベニュー(CHAPLIN AVENUE)。ハリウッドには北部のユニバーサルシティーやワーナーブラザーズスタジオといった映画ゆかりの地が多いが、そのなかのエンシノと呼ばれる地域にある。ハリウッドではスターの手形や足型を残す“WALK OF FAME”というイベントが定期的に行われる。活躍を称えられたスターにとっては大変名誉なことだが、チャップリンほど映画界に貢献したとなると、自分の名前がそのまま地名となって刻まれるのだ。
 ロスの南西にあるセリトスという街にも、往年のスターにちなんだ通りがいくつかある。

 『風と共に去りぬ』('39)で一躍有名となったクラーク・ゲーブル。彼の名をとったゲーブル サークル(GABLE CIRCLE)と、ロックの王者エルビス・プレスリープレスリー サークル(PRESLEY CIRCLE)は、静かな住宅地の一角に隣接している。
クラーク・ゲーブルの名を残す、ゲーブル サークル
 ここから1ブロック離れたところにボガート サークル(BOGART CIRCLE)がある。映画を「銀幕」と呼んだ時代、“男くささ”や“ハードボイルド”を演じる役者として絶大な人気を集めたハンフリー・ボガート。『カサブランカ』('42)、『麗しのサブリナ』('54)でシブイ演技を見せ、“男にモテる男”として今も語り継がれる彼は、この静かな通りにその名を残している。
「どこに住んでるの?」「ボガードサークルにね」なんていったらあなたもモテモテかもシレナイ?
 そしてボガートの次世代を担うべく現れた「銀幕の恋人」ルドルフ・バレンチノ。ハリウッドにあるパラマウントスタジオのすぐ近くにあるバレンチノ プレイス(VALENTINO PLACE)は彼からその名をとった。

 余談だが、ルドルフはパラマウントのゲート建設にも一役買っている。彼がデビューする前、このゲートは何の変哲もない一つの門だった。ところが彼がスクリーンに登場して以来、目をハートにした女性たちが、この美男子に一目会いたいばかりに柵を越えて侵入しようとする事件が相次いだため、門飾りの高さを変え、現在の造りになったという。
 パラマウントゲートにまつわる話をもう一つ。
 
 この正面まで続く道はブロンソン アベニュー(BRONSON AVENUE)と呼ばれている。日本では「ん~ マンダム」のCMでおなじみのチャールズ・ブロンソンにちなんで命名されたのか、と思いきやそうではない。チャールズが有名になる以前から、ブロンソンアベニューは存在していた。無名の俳優だった彼は、この道を歩いていてあるアイディアを思いついた。彼の本姓はブロンソンではなくブチンスキー。当時の売れっ子スターを多く抱えていたパラマウントに憧れた彼は、パラマウントの本社ビルに続いているこの道にちなんだ名前にすれば出世の道が開けるかもしれないと、“ブロンソン”に改名したのだそう。このゲン担ぎの効果は絶大で、大ヒット作『荒野の七人』('60)の役を掴み、有名スターの仲間入りを果たしたのだった。

もしも日本に“裕次郎通り”、“勝新坂”なんて名前の場所があれば観光地としても栄えるに違いない。
「今日は勝新通りで一杯やってきたんだ」なんて、なかなかいい感じだと思いません?
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