TEXT BY 尾崎佳加

 歩いて巡るハリウッド -ブロードウェイ大映画館-

 西海岸の人にとって晴れの日とは、雲ひとつない真っ青な空のことをいう。この混じりけのない青を突き上げるように立ち並ぶLAダウンタウンの高層ビルは、数10マイル離れた郊外からも眺めることができるメトロポリスの象徴だ。短パンTシャツが当たり前のLAウォーカーを見ていると、コーヒーを片手にビジネススーツで交差点を行き交う人々が少々お堅く映るダウンタウン。エンターテイメントとは無縁な都心部のイメージを持っていた私だが、ここに意外なアメリカ映画史の足跡があったことをつい最近知った。
 映画=ハリウッド。今日この公式を疑う人はいないだろう。ところが意外なことに、アメリカに初めて映画が誕生した年、映画産業が根を下ろしたのはハリウッドではなかった。LAダウンタウン、都心部へと導くように横たわるブロードウェイには、1900年から数々のクラシック名作を上映してきた歴史ある映画館が並んでいる。ここがハリウッド史の1ページにある、ブロードウェイ大劇場地区だ。

 ブロードウェイのシアターたちは当初、喜劇やコンサートなどを楽しむための劇場として親しまれていた。当時流行したロココ調で統一された贅沢極まりない内装が現すように、訪れる人は裕福な上流階級の観客がほとんどだった。しばらくの間一般の人には縁のない高級劇場だったわけだが、映画の到来以来、最新の技術が生み出した「動く写真(モーションピクチャー)」を一目見ようという人々が増え、この繁華街にこぞって足を運ぶようになった。まさにブロードウェイ(大通り)の名に相応しい当時の賑わいだった。
現在も映画を上映する数少ないシアターの一つ、Palace Theatre
 ところが1920年代に入り、この地区の人気に翳りが見え始める。街の中心部からずっと離れた、さびれた丘の地域に次々と映画館が建設されはじめたのだ。ここが後のハリウッドである。「映画の街」をうたった都市開発が成功し、映画に関する全ての行事はハリウッドに移行され、ブロードウェイから映画ファンたちが消えてしまう。さらに追い討ちをかけるように第二次世界大戦が勃発し、ダウンタウンに集中していた産業のほとんどが郊外に移され、かつてのブロードウェイの活気は見る見る失われていったのだ。
 この被害をまともに被り、今に残るシアターは数えるほどとなってしまった。それも教会として利用されたり、映画撮影の現場として使われたりすることで生き残っている“なんちゃってシアター”ばかりで、現役の映画館はほとんどない。まれに映画を上映する日もあるのだが、観客よりも従業員の数のほうがはるかに多い日ばかりでかんこ鳥が鳴くありさま。毎日ダウンタウンに通勤する人々が大映画館の歴史を知らないまま通り過ぎるのも無理はない。
約2500もの観客席があるState Theatre。 まさに大映画館だ
 私自身、今日まで古き良き時代のシアターの活躍ぶりを知らなかった1人だが、ブロードウェイ地区自体の存在は昔からよく知っていた。このヒストリックな建築デザインに魅せられ、私は何度もここを訪れた。1世紀も前の建造物は、完全な廃墟となった今さびれてはいても独特なオーラと威厳を保っているもの。大映画館を含む築100年以上と思われるブロードウェイ沿いのビルは“ヒストリック・コア”という重要文化財的な建築基準に認定されているのだ。長い歴史が物語るレトロな雰囲気は、私のような外国人でもノスタルジックな気分に浸らせてくれるのである。
現在は教会として使用されているUnited Artists Theatre。こんなにレトロで美しい外観
 現在ロサンゼルス市はブロードウェイ地区一帯に大規模な都市開発を進めている。私のようにヒストリック・コア地区に魅せられた人々のリクエストに応え、外観の美しさはそのままに、廃墟となった内観を改装して住居にしていく計画である。天井の高さと空間を生かしたロフトタイプの住居は都会派生活に憧れる人々に大人気。改築予定ロフトのウェイティングリストは数年先にも上るという。

 映画産業を発展させる役目を終え、第2の人生を歩みはじめたブロードウェイ。その名にふさわしい活気がもどる日はそう遠くないだろう。“大通り”はやっぱり栄えていなくちゃいけない。
上階全てをロフトに改築したOrpheum Theatre。 プール、トレーニングジムのある高級コンドミニアムに大変身
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