TEXT BY 堂本かおる(フリーライター)

 エスニック・シティNY
 イタリア系ニューヨーカーと映画(前編)

 今回からフリーライターの堂本かおるさんによるNY情報です。NYのエスニック・カルチャーを探求するコラムなど、新シリーズでおくるNY情報をぜひお楽しみください!!

 ニューヨークを舞台にした映画は山ほどあるけれど、ちょっと気をつけて観ていれば、“ニューヨーカー”である主人公が実はユダヤ系だったり、またはアイルランド系だったり、はたまたロケ地がチャイナ・タウンやハーレムだったりと、カラフルなエスニック・カルチャーを発見できる。これは多民族シティ・ニューヨークのシネマならではのユニークで楽しい現象だ。今回はイタリア系ニューヨーカーがテーマです。
 ニューヨークに存在する数あるエスニック・グループの中でもひんぱんに映画に登場するのが、イタリア系アメリカ人。特に有名なのは、なんといっても『ゴッドファーザー』('72)と『ゴッドファーザー2』('74)。イタリアのシシリー島から移民としてやってきたロバート・デ・ニーロ演じる青年ヴィトー・コルレオーネは、1920年代のリトル・イタリーで次第に頭角を現し、やがてマフィアのドンとなる。映画では当時の、貧しくとも活気溢れるリトル・イタリーが見事に再現されている。後年のヴィトーはマーロン・ブランドによって演じられ、その息子(アル・パチーノ)がドンの地位を受け継ぐあたりでは1940年代の、文化的にも経済的にも絶頂期にあった華やかなリトル・イタリーを見ることができる。
 ニューヨークに於けるイタリア系移民の歴史は1800年代から始まるのだけれど、1900年前後にイタリア南部からの移民ラッシュが起こり、当初22万人だったニューヨークのイタリア系人口は、1930年にはなんと100万人を超えるまでに膨れ上がっている。それ以前のモット・ストリート(現在のリトル・イタリー)あたりにはアイルランド系移民が暮らしており、イタリア系の多くはまずはロウアー・イーストサイドに居を落ち着けた。その界隈のイタリア系ギャング(ロバート・デ・ニーロ)とユダヤ系ギャング(ジェームズ・ウッズ)を主人公に作られた大河映画が『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』('84)だ。
 イタリアからの移民の多くは母国であまり教育を受けておらず、したがって仕事は地下鉄工事現場での作業員などに限られており、しかも先着のアイルランド系移民からの差別も激しく、当時の人々はかなりの苦労をしたという。やがてアイルランド系がモット・ストリート付近から出ていくと、そこにロウアー・イーストサイドからのイタリア系が移り住み、そして現在のようなリトル・イタリーが出来上がった。
 このようにニューヨークのイタリア系コミュニティといえばマンハッタンのリトル・イタリーばかりが知られているけれど、同じくニューヨークのブロンクスにもイタリア系の地区がある。1800年代末に広大なブロンクス動物園と植物園が作られたとき、そこで働く土木作業員として多くのイタリア系住人が移住したのが始まり。そして、そこを舞台に作られた映画がロバート・デ・ニーロの監督第一作目『ブロンクス物語』('93)や、スパイク・リー監督が初めてアフリカン-アメリカン以外を主役に立てた『サマー・オブ・サム』('99)。『ブロンクス物語』は、実際にそこで育った俳優チャズ・パルミンテリが自らの子供の頃の話を脚本に仕立て、一人芝居として上演していたものを、やはりイタリア系であるロバート・デ・ニーロが気に入り、映画化した作品。1960年代の、どこかのん気でノスタルジックなイタリア人街の風景が楽しめる。一方、『サマー・オブ・サム』は、77年にニューヨークで本当に起った連続殺人事件と、それにおびえるイタリア系の若い夫婦を描いた異色作。ただし主演のジョン・レグイザモは、実はイタリア系ではなく南米コロンビアの出身だった。     (以下、続く)


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