TEXT BY 堂本かおる(フリーライター)

 デフ・ポエトリー・ジャム on バーンズ&ノーブル

 激しい雷雨となった3月20日の夕刻、リンカーン・センターにある書店バーンズ&ノーブルに、ブロードウェイで上演中のポエトリー・リ-ディング・パフォーマンス「デフ・ポエトリー・ジャム on ブロードウェイ」のメンバーがやって来た。今回はその模様をリポート!
 イラクへの攻撃を開始して3日目となったこの日。開戦前から駅など人出の多い場所には機関銃を携えた警備兵が配備され、他の区からマンハッタンへ入る橋やトンネルには検問所が設置されていた。しかし、ニューヨーク市長や州知事が「警備は万全。ふだんと同じ生活をし、レストランや映画も存分に楽しもう」というメッセージを出したこともあり、ニューヨーカーはこの夜もそれぞれのナイトライフを楽しんでいた。

 リンカーン・センター近くにある大型書店バーンズ&ノーブルでも、予定通りにブロードウェイ・ショー「デフ・ポエトリー・ジャム on ブロードウェイ」のパフォーマンス・イベントが行われた。
「デフ・ポエトリー・ジャム on ブロードウェイ」ポスター
 アメリカでは昔から詩が文学形態のひとつとして根付いており、朗読や暗唱はごく当たり前に行われてきた。1960年代には黒人が差別撤廃・権利拡張を求めて起こした公民権運動やベトナム反戦運動が音楽やアートと連動するムーブメントがあり、政治的なメッセージを込めた詩をステージでパフォーマンスとして朗読するポエトリー・リーディングが盛んになった。その後は一時やや人気が下降したものの、1980代後半あたりにヒップホップ世代の若者が再び火を付けた。
 全米各地にあるポエトリー・カフェでは夜ごとにオープンマイクが開催され、詩人たちは腕を競いあっている。それを映画化したのが『スラム』('98)、『ラブ・ジョーンズ』('97)などだ。

 その新しいムーブメントにいち早く気付いたデフジャム・レコードの総帥ラッセル・シモンズは、ケーブルテレビ局HBOで「デフ・ポエトリー・ジャム」と名付けたポエトリー・リーディング番組を開始。その人気が高まり、ついにブロードウェイ化されたのが、今回の「デフ・ポエトリー・ジャム on ブロードウェイ」だ。
地味に見えるがヒップホップ界の大立て者ラッセル・シモンズ。NYクイーンズ出身
 最初にマイクに向かったラッセル・シモンズは、「怒りとフラストレーションが詩の源」だと語ったが、その口調は至って平静で知的。レコード会社、映画プロダクション、ファッション・ブランドを運営し、ヒップホップをアメリカン・ポップ・カルチャーとして国内外に浸透させた功績者である。しかし、「自分は愛国者」だと前置きした上で、逮捕歴のある大物ラッパーを引き合いに出し、「P.DiddyやJay-Zだってブッシュやコリン・パウエルよりはよほどマシだ」と、イラク戦争反対の立場を明確にした。
 このあと、「デフ・ポエトリー・ジャム on ブロードウェイ」に出演中の9人の詩人のうちの5人が次々とパフォーマンスを披露した。

 共にラティーノであるメイダ・デル・ヴァレはアメリカという国でスペイン語を母国語とすることについて、レモンは“フッド”(=ゲットー)についてリーディング。アフリカン-アメリカンのポエトリは、前夜に書いたという「オレは夕べ、無垢なアリを踏み殺してしまった」というユーモラスな詩を詠んだ。アリとは、もちろんイラクの一般市民のこと。スティーブ・コールマンは、子供の頃、チェコからの移民だった祖母に「雪の上にオシッコをしちゃダメ!敵に見つかるから」と叱られた話で観客を笑わせた。祖母はソ連のチェコ侵攻を逃れてニューヨークにやって来たのだった。
フッドについての詩を詠んだNYブルックリン出身の詩人レモン
 ニューヨーク・ブルックリン出身のパレスチナ系アメリカ人であるスヘイル・ハマドは、美貌と耳に心地よい声を持つ詩人だが、彼女の本質はシンプルな言葉と深い洞察力。詩人としての真の才能を持つひとりだ。この日も最後に戦争と平和についての新作を詠み、大きな拍手を浴びた。

 今回の戦争が続く限り、ニューヨークのアート・シーンもその影を背負い続けることになるだろう。
ラッセル・シモンズの伝記と、NYブルックリン出身のアラブ系詩人スヘイル・ハマドの詩集
■デフ・ポエトリー・ジャム on ブロードウェイ公式サイト> http://www.defpoetryjamnyc.com/


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