■映画賞を総なめ!俳優としても意外な顔を覗かせる監督ミロシュ・フォアマン | ||||||||||
チェコ生まれのミロシュ・フォアマンは、欧州的世界観とハリウッドの映画産業体制を巧みに融合させ、世界的な成功を収めた外国人監督の1人である。彼は過去にアカデミー賞を2度受賞しているが、監督作は35年以上の映画人生のなかで10本程度と非常に寡作な監督でもある。故郷を離れ、異国の地で着実に映画人としての地位を確立してきたフォアマン。そのドラマ作りと意外な顔に迫る! | ||||||||||
|
||||||||||
続く『Lasky jedne plavovlasky』('65・未・英語題『The Loves of a Blonde』)、『Hori, ma panenko』('67・未・英語題『Fireman's Ball』)など2作品がオスカーの外国語映画賞にノミネートされ、世界的評価を得る。68年、パリ滞在中にソ連軍がプラハに進攻。これを機にアメリカへ渡る。71年には渡米第1作となる『パパ/ずれてるゥ!』でカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞。75年、プロデューサーのマイケル・ダグラスとソウル・ゼインツから手渡されたケン・キージーの小説をもとに監督をした『カッコ―の巣の上で』が、アカデミー賞5部門を独占する快挙を遂げた。その後『ヘアー』('79)、『ラグタイム』('81)などを撮り、再びソウル・ゼインツと組んで製作した『アマデウス』('84)で2度目となるオスカーの監督賞を受賞。マイク・ニコルズ監督の『心みだれて』('86)では俳優として出演もしている。97年に『ラリー・フリント』で3度目のアカデミー最優秀監督賞のノミネートを果たしている。77年にアメリカの市民権を取得し、現在はニューヨーク在住。 | ||||||||||
![]() |
||||||||||
■数々の映画祭で賞を寡作な監督、ミロシュ・フォアマンの実力のほどは? | ||||||||||
フォアマンの映画は何と合計36部門でオスカーにノミネート。もちろんアカデミー賞だけでなく、各国の映画祭でも高い評価を受けている。このコーナーではフォアマン作品を徹底チェック! | ||||||||||
|
||||||||||
![]() |
||||||||||
フォアマンの新作は実は監督作ではない。彼の監督作品『ラリー・フリント』に出演したエドワード・ノートンがその才能に惚れこみ、拝み倒して出てもらったと言う。そう、彼は俳優としてノートンの初監督作『僕たちのアナ・バナナ』に出演しているのだ。どんな物語なのか、ストーリーを少し紹介しよう。 | ||||||||||
![]() |
||||||||||
このほかのフォアマンの新作は、プロデュース作品としてアダム・デビッドソン監督の『Way Past Cool』('00)がある。また、ハリウッドの内幕を描いた『In the Shadow of Hollywood』('00)やビートルズのメンバーやクリントン大統領、U2のボノらが出演したTV作品『The Beatles Revolution』('00) などのドキュメンタリーに出演している。 | ||||||||||
![]() |
||||||||||
■人生と作品に見る、フォアマンの映画手法とは? | ||||||||||
68年、チェコスロバキアでは政治・経済の改革をめざした自由化政策がとられた。いわゆる“プラハの春”である。ドプチェク党第一書記のもとに改革が行われたが、結局ソ連および東欧4か国が軍事介入し、弾圧されていった。それはまさにフォアマンが映画に人生を捧げるべく決意を固め、勢力的に活動を始めた時期に重なってもいた。
ただ、政治的なバックグラウンドを持つからといって、重いテーマの作品を好んで作るということはなかった。そういった環境、風潮にも目を向け、東欧社会の規範と矛盾を巧みに織り交ぜた、伝統的なテクニックを越えた風刺作品や即興演出を得意とする作家になっていく。フォアマンの言う即興演出とは、登場人物ひとりひとりの個性を強調し、俳優自身と役とが一体になるような演出方法であるという。彼はチェコ版“ヌーベル・バーグ”の第1人者としてその映画作法を確立しつつあった。軍事介入という政治的な波によって方向転換を余儀なくされたが、それはかえって彼の映画人生に新たな息吹を与えるものとなった。アメリカへの亡命である。 ハリウッドでのフォアマンは生き残りを賭けて、決して焦らず自分が納得できる作品、撮りたい映画だけをを作りつづける。脚本がしっかり練りあがるまでは撮影に入ることをせず、また昼夜を問わずスタッフ、俳優と共にセットで時間を過ごしたという。かつての持ち味だった即興という演出法を変えてまでも、世に作品を送り出した。それが『カッコーの巣の上で』である。しかし、彼が得意としていた独自の手法が死んでしまったわけではない。精神病院に入ってもユーモアを忘れない主人公マクマーフィーは、ある種フォアマンの見事な演出によって生み出されたキャラクターでもある。マクマーフィーの持つ独特のおかしさ、親しみやすさがラストのショックを強烈に引き立たせるのである。この作品は結果的にアカデミー賞主要5部門獲得という快挙を成し遂げ、フォアマンはこれを契機にアメリカでの地位を確立させていく。 |
||||||||||
![]() |
||||||||||
|
||||||||||
亡命したフォアマンではあるが、皮肉にも『アマデウス』のロケ地はプラハだった。彼は、自分は既にアメリカの映画作家であるので、再び故国で作品を撮るとしても招待されるようなことが無ければ、と洩らす。誰しも持つ故郷に帰ることができないという事実は悲しいことだが、その願いがかなう機会が訪れるなら、フォアマンの事ゆえ第1級のエンターテインメント作品に仕上げることは間違いないだろう。 | ||||||||||
(C)2000 Buena Vista Pictures Distribution and Spyglass Entertainment Group, LP. All rights reserved. | ||||||||||
<<戻る |