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2009年12月 アーカイブ

2009年12月08日

『パブリック・エネミーズ』~作品のヒントとなった「デリンジャー」という存在~

プロダクションノートをご紹介するこのコーナー、
今回はジョニー・デップ主演で贈る極上のラブストーリー
『パブリック・エネミーズ』から。
 
作品のヒントとなった「デリンジャー」という存在

 数多くのエッセーや本、歌、映画が世界大恐慌時代の興味深い物語を語ってきたが、マイケル・マンは当時の民衆の英雄となった犯罪者の体験を通じて、この激動の時代を検証しようとする手法に長い間、興味を持ってきた。
蓄えも底をつき、仕事もなく、空腹が満たされることもない生活を送っていると感じていた1930年代初頭のアメリカ人にとって、国民生活の崩壊の原因となった銀行を襲って金品を奪い、そういう経済状況を改善させる力もない政府を敵に回す男、
ジョン・ハーバート・デリンジャーは英雄と映った。

 本作品の前に、有名な列車強盗であり銀行強盗でもあったアルヴィン・カルピスを題材に世界大恐慌時代を描いた映画の脚本を書いていたマンは、デリンジャーの魅力をこう語っている。
 「デリンジャーは、わずか13ヶ月しかもたなかったけど、おそらくアメリカの歴史上最高の銀行強盗だと思う。1933年5月に仮釈放になって、1934年7月22日には死んでる。デリンジャーは刑務所から懸命に“脱出”したわけじゃなくて、気づくともう外に出てたという感じだった。そして、何もかも手に入れようとして、実際、あっさりとそれを手に入れてしまったんだ」

 マンはさらに続ける。「銀行を襲撃して、政府の裏をかく……などなど、そういうデリンジャーの行為は、まるで不況に打ちひしがれた人々の気持ちを代弁してるかのようだった。彼は名高い無法者であると同時に、国民的英雄でもあったんだ」

 当時、デリンジャーの手口をめぐり賛否両論はあったものの、自分たちの生命を脅かしたと思っている金持ち連中に“ひと泡ふかせた”やつがいる―そんな土曜の昼の痛快な映画ニュースを見た者の中で、異論を唱える者などほとんどいなかった。
 デリンジャーたち無法者は、何度も何度もあらゆる局面で政府に赤っ恥をかかせ、どう考えても不可能と思える状況の中でも脱獄を成功させていった。たとえば、1933年9月にはインディアナ州刑務所から仲間を脱獄させ、1934年3月にはインディアナ州クラウン・ポイントのレイク群刑務所を脱獄してみせ、1934年4月のウィスコンシン州北部のリトル・ボヘミア・ロッジでは一味を捕まえようと虎視眈々と狙うパーヴィスの手からまんまと逃れたり・・・という具合だった。

仲間たちがためらわず暴力を行使する一方で、義侠心の強いデリンジャーは、銀行強盗で手に入れた金を国民に返すような義賊的な存在と見られていた。また、女性の人質の前でひどい言葉は何も口にしなかったという。


FBIにマークされた銀行強盗でありながら当時の市民の英雄だったデリンジャー。
彼の“自分の信念は曲げない”という姿勢は、もちろん映画でも再現されています。
ジョン・デリンジャーとはどんな男だったのか…知りたい方は劇場まで!


【パブリック・エネミーズ 公式サイト】

12/12(土)、TOHOシネマズ スカラ座ほか全国ロードショー

(c) 2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

2009年12月17日

『パブリック・エネミーズ』~二度のオスカーに輝くコリーン・アトウッドが作り出す完璧な衣装~

プロダクションノートをご紹介するこのコーナー、
今回はジョニー・デップ主演で贈る極上のラブストーリー
『パブリック・エネミーズ』から。
 
二度のオスカーに輝くコリーン・アトウッドが作り出す完璧な衣装

 当時は、大恐慌がゆえに経済も壊滅的な状況だったので、30年代のヘアスタイルで大事だったのは、ファッション性よりも実用性だった。メーキャップ部のチーフ、エマニュエル・ミラーは、当時についてこう語る。「当時の人たちはセントラル・パークで、ひげ剃り込みで5セントで髪を切ってた。男たちは、耳にかからないようカットしてもらって、帽子をかぶれば一丁上がりだった。当時の人たちは、口ひげやあごひげを生やそうとは考えなかった。30年代には、ひげはあまり見受けられないんだ。みんな、パッと切って、さっと帰りたかったからね」

 しかし、デップは、後頭部にレーザー・カットを施したり、デリンジャーが一時生やしてたのと同じような口ひげをつけたり、演技を際立たせるために、さまざまな方法で外見的魅力をアップさせた。

 ビリー・フレシェットについては、幸いにも写真が手に入ったので、演じる側コティヤールの特徴のある外見は、それをヒントにイメージできた。メーキャップ部のチーフで、同女優の変身を手がけたジェーン・ガリはこう語っている。「ビリーはクローク係でしたから、あまり派手にならないよう、当時らしいメイクに仕上げたの。その頃の女たちは、ネイルと眉の手入れと口紅だけは、何がなんでも欠かさなかった」。さらにガリは、当時はネイルも口紅も赤が大流行だったが、面白いことに、キスはすたれていたという。口紅は高価だったので、女性たちはキスで落ちるのをいやがったからだ。

 質素とは程遠く、より高級なものを求めるデリンジャーの好みは、服装にも表れた。マンはこう語っている。「デリンジャーは、刑務所では絶対に手の届かない生活に酔いしれてた。だから、何もかも、すぐに手に入れたかったんだね。おしゃれでもあった。洋服にしろ、しゃベリ方にしろ、今何が流行してるかを嗅ぎ取るセンスがあった。彼の写真や、姪や妹に書いた手紙からも、そういう部分が感じられる」

 二度のオスカーに輝く衣装デザイナーのコリーン・アトウッドが、デリンジャーの小粋なスーツやフレシェットの繊細な衣装から、パーヴィスの申し分ない仕立ての服装まで、多くのキャストの衣装を手がけた。


役者の演技力はもちろんの事、役のイメージを作っていくのに
メイクや衣装、小道具といった、目で見て時代を感じられるように
物語の世界を作り上げていくプロフェッショナル達の技はかかせません。

30年代の風景を、ぜひ映画でお楽しみください!

【パブリック・エネミーズ 公式サイト】

TOHOシネマズ スカラ座ほか全国大ヒット上映中!

(c) 2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

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