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80年前のハリウッドスター「早川雪舟」<1>
日本人俳優にとって、ハリウッドがはるか彼方の存在だったのは遠い昔の話。渡辺謙が胸を張ってオスカーのレッドカーペットをのし歩き、ブラピと共演した菊池凛子が助演女優賞にノミネートされる。以前はハリウッド俳優の引き立て役に過ぎなかった日本人俳優が、今では重要な役割を演じているのは、日本人としてはうれしい限りだ。
ところで、渡辺謙さん以前にも、ハリウッドで大活躍した日本人俳優がいたのをご存知だろうか?世界のミフネ?そう、三船敏郎さんももちろんハリウッドに大きな足跡を残した人だが、そのミフネさんが生まれて間もない頃、無声映画の時代にハリウッドの頂点に上り詰めた日本人俳優がいたのだ。
早川雪舟。当時のトップスターの1人としてハリウッドに君臨し、主演作品は数知れず、ハリウッドでもっとも稼ぐ俳優の1人だった。当時のお金で1ヵ月3万ドル、貨幣価値が20倍になっているとして月に6000万円、今日で言えばトム・クルーズやブラピなみのギャラをとっていた。実際、当時はトム・クルーズ級の大スターで、主演作品はすべて大当たり。白人女性に大モテでブロマイドが飛ぶように売れ、ハリウッド女優と浮名を流し、ロサンゼルスにハヤカワキャッスルと呼ばれる超豪邸を作って夜毎のパーティーを繰り広げ、当時の人々の度肝を抜いた。やがては自分の映画会社を設立し、全米でヒット作を連発する。
まるでおとぎ話の様だが、すべて本当の話。今回は、渡辺謙さんの大先輩、早川雪舟にスポットを当ててみよう。
ちょっとコワイ顔だが当時のアメリカ人にはサムライを連想させた
生まれたのは1889年だというからずいぶん昔の人だ。千葉県の名門家庭の次男だった彼は、親の期待を一身に背負って海軍幼年学校に入学する。しかし、事故で片方の耳が聞こえなくなってしまい退学。将来に絶望した雪舟は、切腹を試みる。しかし、すんでのところで父親に発見されて一命をとりとめる。こうなったらアメリカにでも行ってみようと、米国に留学、名門シカゴ大学の学生となった雪舟。アメリカ生活にも慣れてきたある日、ロサンゼルスを訪れた彼は、そこの劇場で初めて舞台を見る。「これは面白そうだ」と思った雪舟は、早速頼み込んで舞台に立たせてもらう。ここから雪舟のシンデレラストーリーがはじまる。
やがて雪舟は「タイフーン」という舞台の役を射止め、本格的に演劇活動を始める。そうこうするうちに、たまたまタイフーンを見に来ていたハリウッドプロデューサーのトーマス・インスは、この劇および雪舟を一目で気に入り、同じキャストで映画化することを思いつく。しかし、彼はまだ学生の身。本格的な俳優になるなんて考えたこともなかった雪舟は、インスを諦めさせようと、「週500ドル(約6万円)くれるならやってもいいよ」と高飛車な返事をする。アメリカ人の平均年収が15万円そこそこだった頃の話である。ちなみに月収ではなく年収。今の平均年収が350万円としたら、500万円くらいか。それだけのギャラを毎週払えと言ったのだから、いかに非常識か想像がつこうというもの。しかもどこのウマの骨とも分からない日本人の新人俳優だ。ところがさすが腕利きプロデューサー、この途方もない申し出をOKしてしまう。こうして日本人ハリウッドスター、セッシュウ・ハヤカワの華々しいキャリアがスタートするのだ。(次回に続く)
TEXT BY 岩下慶一
ところで、渡辺謙さん以前にも、ハリウッドで大活躍した日本人俳優がいたのをご存知だろうか?世界のミフネ?そう、三船敏郎さんももちろんハリウッドに大きな足跡を残した人だが、そのミフネさんが生まれて間もない頃、無声映画の時代にハリウッドの頂点に上り詰めた日本人俳優がいたのだ。
早川雪舟。当時のトップスターの1人としてハリウッドに君臨し、主演作品は数知れず、ハリウッドでもっとも稼ぐ俳優の1人だった。当時のお金で1ヵ月3万ドル、貨幣価値が20倍になっているとして月に6000万円、今日で言えばトム・クルーズやブラピなみのギャラをとっていた。実際、当時はトム・クルーズ級の大スターで、主演作品はすべて大当たり。白人女性に大モテでブロマイドが飛ぶように売れ、ハリウッド女優と浮名を流し、ロサンゼルスにハヤカワキャッスルと呼ばれる超豪邸を作って夜毎のパーティーを繰り広げ、当時の人々の度肝を抜いた。やがては自分の映画会社を設立し、全米でヒット作を連発する。
まるでおとぎ話の様だが、すべて本当の話。今回は、渡辺謙さんの大先輩、早川雪舟にスポットを当ててみよう。
ちょっとコワイ顔だが当時のアメリカ人にはサムライを連想させた
生まれたのは1889年だというからずいぶん昔の人だ。千葉県の名門家庭の次男だった彼は、親の期待を一身に背負って海軍幼年学校に入学する。しかし、事故で片方の耳が聞こえなくなってしまい退学。将来に絶望した雪舟は、切腹を試みる。しかし、すんでのところで父親に発見されて一命をとりとめる。こうなったらアメリカにでも行ってみようと、米国に留学、名門シカゴ大学の学生となった雪舟。アメリカ生活にも慣れてきたある日、ロサンゼルスを訪れた彼は、そこの劇場で初めて舞台を見る。「これは面白そうだ」と思った雪舟は、早速頼み込んで舞台に立たせてもらう。ここから雪舟のシンデレラストーリーがはじまる。
やがて雪舟は「タイフーン」という舞台の役を射止め、本格的に演劇活動を始める。そうこうするうちに、たまたまタイフーンを見に来ていたハリウッドプロデューサーのトーマス・インスは、この劇および雪舟を一目で気に入り、同じキャストで映画化することを思いつく。しかし、彼はまだ学生の身。本格的な俳優になるなんて考えたこともなかった雪舟は、インスを諦めさせようと、「週500ドル(約6万円)くれるならやってもいいよ」と高飛車な返事をする。アメリカ人の平均年収が15万円そこそこだった頃の話である。ちなみに月収ではなく年収。今の平均年収が350万円としたら、500万円くらいか。それだけのギャラを毎週払えと言ったのだから、いかに非常識か想像がつこうというもの。しかもどこのウマの骨とも分からない日本人の新人俳優だ。ところがさすが腕利きプロデューサー、この途方もない申し出をOKしてしまう。こうして日本人ハリウッドスター、セッシュウ・ハヤカワの華々しいキャリアがスタートするのだ。(次回に続く)
TEXT BY 岩下慶一
2007年01月12日 12:55
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