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「Showbiz 商人」ハリウッドに見参!山北龍二氏
ここエンターテイメントの都ハリウッドは、世界中から夢や野望を胸に秘めた人々が多く集まる場所。もちろん我らが日本人勢も例外ではなく、ショービズ業界だけを見ても多岐に渡るジャンルにて活躍されている方々が大勢いらっしゃいます。
そしてこの度はひときわの異彩を放った、さまざまな肩書きを誇るクール・ガイをご紹介。故郷の大阪を離れ、世界の高みを目指してLAに上陸した山北龍二さんにお話を伺いました。
今回お会いした山北龍二さん
2008年に再渡米を果たした山北さんにとっての「初めてのアメリカ」は、1992年に降り立ったアラバマ州。日本人の少ない土地の語学学校にてみっちり英語漬けの生活を送り、翌年にカリフォルニア州内サンタモニカ短期大学の芸術学部演劇学科に入学します。
その後はカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の同科に編入して、より深い俳優活動と演技論に没頭。そして1999年に帰国後は、京都の太秦撮影所に飛び込んで殺陣(たて)を学びました。そこではテクニックのみならず、日本特有の芸能界の「しきたり」も肌で感じたとか。
更には多くのスタッフさん達と関わっていく中で後の財産となる人脈を培うなど、かけがえのない時間を過ごすことが出来たと振り返っています。
そして京都を離れると東京に活動拠点を移し、全てオリジナル脚本の舞台にこだわった劇団「THE東京ピチピチBOYS」を旗揚げ。そこでは俳優業のみにとどまることなく、主宰者として演出およびプロデュースもこなしていきます。時にシリアスに、時にはコミカルにも様変わりするイケメン揃いの演劇集団は、瞬く間に固定ファンを獲得していったそう。ちなみに山北さんは当劇団にて第11作品まで参加されています。
2003年にはシュワルツコフの
ファッションショーにゲスト出演 <写真左手>
また、時期を同じくして数々の映画やTV出演のほか、ファッションショーのランウェイモデルを務める傍ら、パーソナル・トレーナーや留学希望者を対象とした家庭教師、都内の某巨大クラブ兼イベントスペースのマネージャーを任されるなど、幅広いフィールドにて活躍。特にこちらのマネージャー業では経営/マネージメントにも携わっており、山北さんのバイタリティにはただただ驚かされるばかりです。
そうした充実の日々を経て、山北さんが再度の渡米を決めたのは2008年12月。その理由を伺ってみると「世界でやりたかっただけです!」との何とも頼もしい答えが返って来ました。
豊富な知識と経験、経営のHow toとともにLAに再び渡るということは、自身の実力を改めて証明するべく「勝負」に出るということ。実際にこれまでは、日本のプロダクション・クルー向けの現地コーディネーターを任されながら、日本で学んだ真の殺陣を広めるべく活動も行なっています。
そしていよいよ今年11月には、当地ハリウッドにて堂々の舞台公演を敢行。
彼が2008年に恵比寿にて出演/プロデュースを務めた時代劇「-現-UTSUTSU」が装いも新たに、アメリカ版として再演される運びとなりました。日米選りすぐりのキャスト20名以上を迎えた大殺陣ありのステージにはご自身も出演、プロデュースに合わせて演出もされるとか。
個性溢れる山北さんの持ち味が存分に発揮されること必至の大舞台、当コラムでも経過を追ってレポートしていきたいと思います。
2006年公開作品「ミラーマンREFLEX」の劇中より
「こちらの学校を卒業してそのままこちらに住んでいれば、今の自分はいないと思います。」そう言い切る山北さんは、俳優業/舞台のプロデュースや演出といったこれまで経験してきた枠に収まることなく、映画ディレクターやプロデューサーにも挑戦していきたいとのこと。
日本文化を世界に広げる架け橋として、またエンターテイメント界の「導き人」として、彼が秘めている可能性は未知数と言えるでしょう。
ワイルドな佇まいからは想像し難いほどに礼儀正しく柔らかな物腰、
それでいて今後の展望を語る言葉に強い決心がみなぎっていた山北龍二さん。
より一層の活躍から目が離せなくなりそうです。
【Ryuji Yamakita ウェブサイト】
TEXT BY アベマリコ
そしてこの度はひときわの異彩を放った、さまざまな肩書きを誇るクール・ガイをご紹介。故郷の大阪を離れ、世界の高みを目指してLAに上陸した山北龍二さんにお話を伺いました。
今回お会いした山北龍二さん
その後はカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の同科に編入して、より深い俳優活動と演技論に没頭。そして1999年に帰国後は、京都の太秦撮影所に飛び込んで殺陣(たて)を学びました。そこではテクニックのみならず、日本特有の芸能界の「しきたり」も肌で感じたとか。
更には多くのスタッフさん達と関わっていく中で後の財産となる人脈を培うなど、かけがえのない時間を過ごすことが出来たと振り返っています。
そして京都を離れると東京に活動拠点を移し、全てオリジナル脚本の舞台にこだわった劇団「THE東京ピチピチBOYS」を旗揚げ。そこでは俳優業のみにとどまることなく、主宰者として演出およびプロデュースもこなしていきます。時にシリアスに、時にはコミカルにも様変わりするイケメン揃いの演劇集団は、瞬く間に固定ファンを獲得していったそう。ちなみに山北さんは当劇団にて第11作品まで参加されています。
2003年にはシュワルツコフの
ファッションショーにゲスト出演 <写真左手>
そうした充実の日々を経て、山北さんが再度の渡米を決めたのは2008年12月。その理由を伺ってみると「世界でやりたかっただけです!」との何とも頼もしい答えが返って来ました。
豊富な知識と経験、経営のHow toとともにLAに再び渡るということは、自身の実力を改めて証明するべく「勝負」に出るということ。実際にこれまでは、日本のプロダクション・クルー向けの現地コーディネーターを任されながら、日本で学んだ真の殺陣を広めるべく活動も行なっています。
そしていよいよ今年11月には、当地ハリウッドにて堂々の舞台公演を敢行。
彼が2008年に恵比寿にて出演/プロデュースを務めた時代劇「-現-UTSUTSU」が装いも新たに、アメリカ版として再演される運びとなりました。日米選りすぐりのキャスト20名以上を迎えた大殺陣ありのステージにはご自身も出演、プロデュースに合わせて演出もされるとか。
個性溢れる山北さんの持ち味が存分に発揮されること必至の大舞台、当コラムでも経過を追ってレポートしていきたいと思います。
2006年公開作品「ミラーマンREFLEX」の劇中より
日本文化を世界に広げる架け橋として、またエンターテイメント界の「導き人」として、彼が秘めている可能性は未知数と言えるでしょう。
ワイルドな佇まいからは想像し難いほどに礼儀正しく柔らかな物腰、
それでいて今後の展望を語る言葉に強い決心がみなぎっていた山北龍二さん。
より一層の活躍から目が離せなくなりそうです。
【Ryuji Yamakita ウェブサイト】
TEXT BY アベマリコ
2010年04月15日 17:01
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