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『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』~THE BEGININGS~
プロダクションノートをご紹介するこのコーナー、
今回は、10/8(金)公開の『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』から。
このドキュメンタリー映画が作られたきっかけについてご紹介します。
■THE BEGININGS
プロデューサーのジェームズ・ゲイ=リースは、幼い頃から父親の語るアイルトン・セナの話に刺激を受けてきた。父親は1985年に、セナの黒いロータスのスポンサーであるタバコ会社、ジョン・プレーヤー・スペシャルで働いているとき、セナと知り合ったのだった。「わたしの父はあちこちのレースから帰ってくると、あの若者には“なにか他のもの”があると言っていた。『他の若いレーシング・ドライバーたちとはまるきり違うんだ。もの凄く自信があるし、何か強い信念がある。とても変わっているし、とても真剣だ』ってね」こうして、この伝説的なレーシング・ドライバーについてのドキュメンタリーを作る、彼の長い旅路が始まった。
この旅路の転換点となった日が2006年の3月。ゲイ=リースと、脚本家で制作総指揮のマニッシュ・パンデイがようやくセナの家族と会合を持つことができ、彼らの息子についての映画を作る許可をもらおうと売り込んだときだった。感情的になりやすいパンデイは、妻から「泣いてはだめよ、とにかくプロ意識に徹して」と言われ、音響、映像、スチル写真を交えた40分間のプレゼンテーションをやり遂げながらも、何とか体面を保った。「40分間ずっと、アイルトンの姉ヴィヴィアーニや、他の家族たちはさんざん泣きじゃくっていた。終了したとき、ヴィヴィアーニが立ち上がって、わたしを抱いて、耳に囁いてくれた。『ほんとうに弟のことをよく知っているのね』と。」
この売り込みの成功に元気づけられ、彼らは英国へ帰った。「セナの家族がずっと連絡を保ってくれ、『あなたとジェームズの二人でこれを是非やって欲しいと思っているの。あなた方がこれに込めた内容が大好きだし、うまくいくと思うわ』と言ってくれてたんだ。2年かかって彼らと契約したけれど、たぶん、他の映画人たちがセナの家族に企画を売り込んだときうまくいかなかったのは、アイルトンの死だけを扱おうとしているのがお見通しだったからだね。ぼくたちは、初っ端からこの映画ではそんなことはないと、主張していたんだ」
映画制作者たちの売り込みは家族たちに功を奏した。「信頼の問題なんだ」とゲイ=リース。「そして、自分は正しいことをするつもりだと、みんなに確信してもらうことだ」そのような正しさは、パンデイが家族に披露したプレゼンテーションにはっきりと現れている。そのタイトルは『アイルトン・セナの人生と死』だった。プロデューサーたちはたんに悲劇的な死だけに焦点を当てたかったのではない。彼の非凡で、多面的な人生を探訪したかったのだ。セナのストーリーは立身出世物語ではなく――生まれたのはサン・パウロの裕福な家庭だ――ひとつの輝かしい遍歴であり、それは人生に対する非凡なアプローチと、その天才的なハンドルさばき、そして彼自身の確立された深い信念に彩られている。
プロデューサーたちの熱い想いがアイルトン・セナの家族に届き、制作が実現した本作。
世界最速公開まで、あともう少し…お楽しみに!
10/8(金)、TOHOシネマズ 六本木ヒルズほか全国ロードショー
2010年09月22日 11:08
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