-なぜクリスチャン・ガイイの小説「風にそよぐ草(L'incident)」を 映画化しようと思ったのですか?
プロデューサーのジャン=ルイ・リヴィが、映画を作らないかと私に声をかけてきて、最初は、舞台作品の映画化ということで合意していた。作家クリスチャン・ガイイの小説に出会うまでに、既に三十もの舞台作品を読んでいたんだ。アラン・ヴァンスタインのラジオ番組「フランス・カルチャー」で彼の声を初めて聞いた時、その皮肉っぽく、人を引き付けてやまない物悲しいトーンに心を奪われ、私は彼の「風にそよぐ草」にすっかり魅了され、別の小説もすぐに手に取り、翌日には、ジャン=ルイ・リヴィに「私たちが何週間も探していたものが、ついに見つかったかもしれない。」と電話した。ガイイの作品は非常に音楽的で、読み終えた後に誰かに話しかけたとしたら、まるで作中のキャラクターのように喋ってしまう気がした。その会話は、奏でられるのを今や遅しと待ちかまえている、ソロかデュエット・ナンバーのようだ。ガイイの作品を出版しているLes Editions de Minuit社のトップ、イレーヌ・リンドンに聞くと、13作品中12作品に映画化権があり、私は本人に会わせてほしいと頼んだ。その時点で読んでいたのは4作品だけだったこともあり、ガイイは映画化する作品を自由に選んでよいと言ってくれた。彼が危惧していたのは、当時全精力を傾けて取り組んでいた、新作の執筆を邪魔されるのではないか、ということだけだった。そこで私はためらいがちに、「彼を煩わせるようなことは絶対にしないし、申し出たシーンを追加したり、脚本や役者のキャスティングについて意見を求めたりもしない」と提案した。「アンサー・プリントを見て、これでいいかどうか判断してくれるだけでいい」と伝えた。彼の顔には大きな笑みが浮かんだよ。それから数日間、まだ読んでいなかった彼の残りの作品を読んだ。最終的に、ジャン=ルイ・リヴィに「風にそよぐ草」を撮りたいと伝えたら、彼の頭にも既にこの作品のことがあったんだ。他の作品に比べてこの小説の映画化には、とりわけコストがかかったが、リヴィと製作総指揮のジュリー・サルヴァドルの尽力で、この試みはスタートした。-原作の中で、あなたの心を最も強くとらえた要素は何ですか?
音楽に例えると、*シンコぺーション調の、限りなく即興に近い要素を感じた。様々な*スタンダード・ナンバーを生み出すスキルだ。主人公のジョルジュ・パレとマルグリット・ミュイルの頑固さにも手を焼いた。不条理な行動への衝動を抑えられない、自ら混乱に突き進む驚異的なバイタリティの持ち主だ。(リヴィが述べているように)この小説のテーマは『欲望のための欲望』だ。欲望はジョルジュの中に生れる。マルグリットにまだ会いもせず、声すら聞いていない、全く無の状態から。その欲望は自ずと大きくなっていく。 *シンコペーション:西洋音楽で、ひとつの音がより劣位の拍からより優位の拍に鳴り続けることによって生じるリズム。 *スタンダード・ナンバー:近代音楽の分野において広く世に知られ、多くのアーティストにカバーされるようになった楽曲。-映画のタイトルを原作の「L'incident」ではなく「Les herbes folles(狂った草)」としたのは、なぜですか?
私にはこのタイトルが、不条理な衝動に突き動かされる登場人物にピッタリだと思えた。彼らは、街の通りのアスファルトや、田舎の家屋の石壁に空いた裂け目から芽を出し、人々を驚かせる種のようだから。-原作の会話を、忠実に採用しましたね?
ええ、もちろん。会話が私の心をつかんだのですから。いずれにしても、ガイイは最初から最後まで、私たちの指針となってくれ、分岐点では、常に適切な助言をしてくれたんだ。アンドレ・デュソリエ、サビーヌ・アゼマ、アンヌ・コンシニ、エマニュエル・ドゥヴォス、マチュー・アマルリック、ミシェル・ヴュイエルモーズや他の多くのキャストが皆、ガイイの作品を何冊か読みこんでいた。結果的にこうした行為が、彼らの創造性を刺激して、純粋に嬉しかったね!同じような現象がスタッフにも起こっていたし。解決策を模索している最中にひらめきをくれるのは、決まってガイイの作品世界だった。撮影の間は、彼のスタイルと同じものを取り入れようとして、文章を途中で完全に中断させたりした。また、各キャラクターとその絶え間ない衝動的な行為を考慮して、ナレーションには、ナレーターのエドゥアール・ベール自身が、ためらいながらもわざと大きな矛盾を作ったりした。ガイイの作品には、一つの文章に肯定と否定が同時に出てくることがよくある。そのためローラン・エルビエと脚本を執筆するあたって、原作のクオリティーをそのままに、その二重性を体現できるよう、シーンを細分化した。シーンの変わり目やキャストの演技に、「ウィ」と「ノン」が同時に存在するようにね。私は完成シーンを見るためだけにカメラを回していたから、自然に、活き活きと、何のプランにも縛られずに、こうした手法取り入れていったんだ。この手法は、撮影初日から現場にいた美術デザイナーのジャック・ソルニエや、撮影監督のエリック・ゴーティエにも採用された。セットでは、色の飛沫が散ったかと思うと、突然筆致のように寸断され、別の色へと移り変わる。ゴーティエは何のためらいもなく、色彩を混ぜない単色を使った。単色のあとに別の単色がくる。何のクッションもなく、*ディゾルブもなく。音楽担当のマーク・スノーは、シーンが変わるごとに違うタイプの楽曲を使うことで、歯切れのいいシンコペーション調の効果を狙った。ガイイのような指南役がいれば、誰もが自然と流れに乗っていくんだ。 (フランソワ・トーマスインタビューより) *ディゾルブ:画面転換の技法。画面が次第に消えて行くに連れ次の画面がとけ込む感じで入れ替わる。